いよいよ今年もあと一カ月となりました。いまだ体調が完全に戻りません(;´Д`A 皆様風邪などひいてませんか!?
今回は11月に行われた全日本大会や昇級審査を見て感じたことを書きたいと思います!
まず全日本大会ですが、強豪外国人が多数出場した今大会!初日を見ているとその強豪外国人選手になす術もなく敗れていく日本人選手も見受けられました。まぁそれ程までに強い外国人選手というのはわかりますが、見ていて少し寂しさを感じました。
今のこの不況の世の中、社会人として仕事や家庭を持ちながらもその限られた時間の中で全日本大会に向けて一生懸命に練習する、と。本当にすごい事だと思うし、尊い事だと思います。だからこそ全日本大会という輝かしい舞台で、自分がやってきたことを出し切らずに敗れていく人がもどかしいというか‥ なんか淡々としているというか‥
ここでまた私事で申し訳ないのですが、いくつか体験談を書きたいと思いますm(_ _)m 極真空手に入門したのが中学2年の3学期だったと記憶しています。当時通っていた道場は自宅から自転車で15分くらいの所にあり、月曜、木曜、土曜と週に3回稽古がありました。部活から帰るとすぐに道場に行き、夜7時半から9時半まで一回の稽古が2時間ありました。中学3年になっても受験生の自覚もなくとにかく道場に通い、当時はグローブもサポーターもない中で大人の人によぉ〜くぶっ倒されてました(^^) それでも空手が楽しくて、やられた人のクセや組手のパターンを見て探り、いつかやり返してやる、とあーでもねぇ、こーでもねぇと組手の事ばかり考えていました。
まともに受験勉強もしませんでしたが、高校に入学してしばらくすると林間学校なる楽しそうな学校行事がありました!しかしちょうど林間学校のその日に空手の大会が重なってしまい、自分はどうしても空手の大会に出たい、と担任の先生に申し出ました。半ば呆れたような顔の担任。ある日にゃ担任ではなく学年主任の先生から呼び出しをくらい、学校行事を優先しなさい、とたしなめられましたが迷う事なく空手の大会に出ました(-。-; 結局負けてしまいましたが‥
そしてまたある年の文化祭!これがまた第5回の世界大会と重なってしまい‥ はい、そーです。当然の如く世界大会観に行きました!この時は、ジイさんが亡くなったと架空の葬式話をでっちあげ、まんまと世界大会観に行きました(^^) 当時は東京体育館の3階席が自由席としてあり、始発の電車に乗って千駄ヶ谷まで!しかしそこには既に長蛇の列が(>_<) 開場と同時にダッシュで3階席へ!おかげで3階の1番前の列で試合観戦出来ました!この時は試合だけでなく、大山総裁のド迫力の型も観る事が出来ました! ありがとう、天国のオジいちゃん。て誰?(・・;)
とにかく生活の中心にあるのが空手でした。熱かった!そして当時はそのような人がたくさんいたような気がします。
そして20歳を過ぎてもバイトしながら大会に出て程々に良い結果も出ていました。しかしある事をキッカケに、これは空手を逃げ道にして自分がやらなければならない事から逃げているのではないか、と考え、ある会社に就職しました。当然練習時間は減り、拘束時間は延びましたが、それまで漠然と抱えていた、親や世間に対する後ろめたさもなくなり、短い練習時間ではありましたが、集中力が高まりそれまで結果が出せなかった体重別の日本一を決める大会でベスト4に入賞することができました。
翌年には優勝することができ、働きながらでも空手で日本一になる事が出来て人間的にもここで強くなることが出来たと思います。
仕事も覚え周りの方も良い人ばかりの会社でしたが、ここで会社を辞める決断をしました。何故かというと、4年に一度の世界大会の日本代表の最終選抜戦が半年後に迫っていました。前年優勝したこの体重別の大会でまた優勝することが出来れば、世界大会の日本代表選手になれるのです( ̄^ ̄)ゞ
仕事を続けながらでも選抜戦に出ることは出来ましたが、 世界大会という夢の舞台があと少し手を伸ばせば届く所に!もちろん仕事を辞めて練習したって世界大会に出れる保証なんかありませんでしたが、とにかく後から振り返った時に言い訳じみた事は言いたくない!自分のやれる事をすべてやって選抜戦に臨もう、と考えました。だからつって仕事辞めちゃうのも今考えるとある意味すごいな、と思いますが(・・;)
とにかく仕事辞めるのも、選手として世界大会目指すのもハンパな覚悟では成し得ないと思っていました。引き止めてくれたり、最後は快く送り出して下さった当時の会社の方々には本当に感謝ですm(_ _)m
結局結果は前年に続き優勝することが出来て、念願だった世界大会への出場も果たしました。
ここまで長々と書いてきましたが、何が言いたいかというと、皆さんの中でも空手の優先順位が出来れば上の方にあって欲しいなあ、ということです。少年部であろうと壮年部であろうと熱い気持ちを持って空手に取り組んでもらいたい、ということです!
当時の自分は、金もいらない、女もいらない。とにかく試合で勝ちたい、強くなりたい。自分のやってきた証しを、極真の歴史に名を残すんだ、と思っていました。普通の感覚の人から見たら、頭おかしいんじゃないか?と思われるかと思いますがそれぐらい思い込んでやってきました。
先日行われた昇級審査で2人の黒帯が誕生しましたが、1人は50歳を過ぎての昇段でした。審査まで一緒に稽古したこともありましたが、その取り組みは黒帯に相応しいものであったと思います!後に続く人達の良きお手本としてこれからも頑張ってもらいたいと思います( ̄^ ̄)ゞ
長くなりましたが、熱い気持ちを持って空手に取り組めば必ず返ってくるものがある、と思います。時が流れても極真空手である限り変えてはいけない部分があると思うので、上手く言えませんがそういう部分を大切に指導していきたいと思います!
いじょ おしまい