< 行事予定 >
*3月10日(日) 埼玉県大会(駿河台大学構内体育館)
*3月15日(金) 壮年部合同稽古(愛宕道場)
*3月17日(日) 千葉県大会(ゼットエー武道場)
*4月20日(土)・21日(日) 国際大会・全日本ウエイト制大会(武蔵野の森総合スポーツプラザ)
※ ↑ 上記行事中は各道場休館になります。
※ 年間行事(下総ファミリー103号『1月号』)に行事の追加や訂正記載
< ビビリ >
先日、知り合いの子供とその家の犬の散歩をしていた時の出来事です。犬は歩いていて自分が
踏んだ枝で『ビクッ!』子供は大笑いして『このビビリ!』と言っていた。人間だったら恥ずか
しく思うかも知れないが犬はそんな風に感じる様子もない。この行動は本当にビビリなのか。
『ビクッ!』とする事は脳反射ではなく脊髄反射であろう。脊髄反射と言う事は一刻も早く回避
しなくてはならないと言う事、つまり『痛い』『熱い』など危険が迫っている事を意味している。
と、言う事は自己防衛本能だ。人間はこの脊髄反射が起きると動きが急で臆病と言う意識が働き
体裁も悪く感じてしまうのだろう。しかし犬などの動物は死に繋がる危険な行為とおそらく本能が
働き、ある意味自動的に反応していると思われる。逆に言えば生きる為の行為である。
人間には思考があり、脊髄反射の後に何かに対して行動を起こしてしまう事がある。
維新の三傑と呼ばれた桂小五郎(木戸孝允)は『逃げの小五郎』と揶揄されましたが、近藤勇に
桂小五郎は気迫が凄く手も足も出なかったと言わせる程の剣の達人だったと言われていた。
しかし小五郎が『逃げの』と言われたのは『この国を変える』つまり、自分が死んだらこの国は
どうなるのかと言う思いがあった。ある時は乞食に扮装したり又、ある時は会津藩兵に捕らえられ
て(トイレ)我慢出来ないと言って見張りの目を盗んで逃走したと言われている。
歴史の英雄は(侍などの)矜持があり、命も惜しまないと言う所があり、狙われて殺されてしまう
者が多々ありました。格闘家でも、ディフェンスの上手い選手は『ビビリ』が多いと言われます。
怖いから避ける、痛いから躱す。私的感覚から言うとプライドの強い選手程ある程度打たせて返す
強く返す様な所がある気がします。余談ではありますが『こわい』には『恐』が神にも捧げる儀式
で手に道具を持ちながらかしこまった姿であり、『怖』は心が布で覆われている事を示し何も見え
ない、何が起こるかわからないこわさがあり、『畏』は頭が大きくて、手足が長い怪物を示し人知
が及ばない物へのおそれを意味し、『懼』は小さな鳥がびくびくとおびえている姿を示したものだ
そうです。最後に宗教的な考えに成ってしまうかもしれませんが、人間は生を受けたからには最期
まで、この世で修業を全うすると言う事ですかね。
それにしてもこの犬よく『ビクッ!』とするなぁ・・・。
< 伝わる >
ある選手がミットを蹴っていた。何発か蹴った時、ある先生がミットの持ち手を代わり、蹴りを
受けていた。2、3発蹴った所で選手が『あれ!何だか感触がいいです』と言った。
その先生は『そうだろう、こうして持つと蹴っている方は楽しくなる。持ち手は楽しくなる様に
持たなければいけない』と仰った。なるほど確かに。
持ち手はある意味無意識に持っていたりこの野郎!とパンチや蹴りにぶつけたりしている人もいる
のではないか、思いは伝わると言う事か。
これと似た事で相手に攻撃を加える時、蹴るぞ!打つぞ!と思って行うと相手に伝わる。
強く打とうとすると俗に言うテレフォンパンチ。予備動作がより大きくなる。
私、打ちませんから、蹴りませんからと思って行うと意外に当たったりする。急に動くと相手も
反射的に動く、釣られる。表情にも出たりする。ひょっとして道具を大切に使う人は何かの恩恵
を受けているのでは。大切に使い大事に扱う、すると気持ちも良く稽古にも打ち込めるのでは。
道場の物を使うと適当に扱い、私物はそれなりに、酷いのは私物も親が買い与えたものなので、
平気で荒く扱って、しかも道場に忘れて帰る。欲しい物は親から与えられ、壊れたり失くしたり
したらまた新しい物を買って貰えばいいと考えているんじゃないかと思ってしまったりします。
これは私達指導を行う者にも如実に表われます。渾身の一撃や、頑張っている人の姿は、相手や
観ている人に伝わって来ます。伝わると言う事は相手(物)との相対関係にあると言う事です。
人間関係にも相手の事が分からないと自分の思いも中々伝わらなかったりします。伝わると言う事
は気持ちが無いと伝わりにくいと言う事でしょうか。戦う前は火花がバチバチな人たちでも、
お互い全力でぶつかって力を出し尽くした結果、勝ち負けではなく賛え合うと言うものもお互いの
思いが伝わったという事ではないでしょうか。