下総ファミリー101号 2018/09/22

< 行事予定 >

* 9月30日(日)      支部型試合(清水公園体育館)

* 10月 7日(日)   埼玉県空手道大会ビギナーズ・団体戦(久喜市総合体育館)

*10月27日(土)・28日(日)   全日本空手道選手権大会(武蔵野の森総合スポーツプラザ)

*11月18日(日)  昇級審査(清水公園体育館)

*11月24日(土)       全関東空手道選手権大会(茨城県武道館)

上記行事中は各道場休館になります。

< 緊張、恐怖 >

型試合を間近に控え皆さん稽古に励んでいる事と思いますが、私はよく生徒に自分のレベルに

合った試合に出ましょうと話します。組手と型の緊張感や恐怖感は少し違い得るものが有ると

思うので挑戦して下さいと。しかし出ようと思えば出られるのに特に大人は楽な方へと流れて

しまう。何か言い訳を自分に作ってしまう。自分は型がヘタだから。組手は忙しくて稽古不足

や足が痛い等。ある同志は『一緒に参加しよう!参加する事に意義が有るのだから(本来の意味は

頑張った人への賛辞ですが)』と声掛けをしていました。

ボクシングの世界チャンピオン 村田諒太選手があるTV番組でこの様な事を語っていました。MCの

方が対戦相手に恐怖はないですか?との問いに『何(誰)と戦っている、誰にどう見られている、

例えば誰もいない所でマイクタイソンとスパーリングさせてくれると言われたらそれはそれでやっ

て見たい。でもそこに観客が生まれる事によって怖さって生まれるんじゃないですか。本質的な

殴り合いに対して恐怖を感じるのではなくて、誰にどう見られているかに恐怖を感じる』と。

人は誰かに見られている事で緊張や恐怖を感じそれが人が増えるとより高まる。それらを自分の中

で排除し相手への集中力を高めると言う事でしょう。支部の型試合では数百人の前で1人で行い

ます。決められた動きを失敗しない様に行うのです。しかも見えない相手、もしかしたら自分との

戦いです。試合が楽しみで仕方が無いと言う人は少ないと思いますがある意味嫌な(緊張や恐怖)事に

挑戦して自分に勝って頑張ってほしいと願います。

< あるレストランでの出来事 >

あるファミリーレストランで案内された席の右隣りにいた年配の女性グループが大きな声で食べ物

の話、病気や愚痴などの毒を吐いていた。皆なと会ってストレスを発散しているのだろう。

暫くすると、左隣りに高校生か大学生位の青年2人が席に着いた。注文を終えメガネを掛けている

青年がいきなり『今の安倍政権についてどう思う?』と話しだしたのです。もう一方の青年は

『駄目なんじゃないの?あまり良い話し聞かないよ』と言うとメガネの青年が『僕はそうは思わ

ない良くやっていると思うよ』と。その他に経済や哲学の話しを熱く語っていました。

ファミレスで足を上げたり、帽子を被ってゲームや何かを家にでもいるかの様にしている若者は

よく見かけますが政治経済、哲学等に関して討論をしている若者は殆ど見た事がなかったので

面喰いました。日本にもこの様な若者が間近かにいたと言う事で嬉しくなりました。パリなどでは

哲学カフェに若者が集まって議論を行います。元々フランスの哲学者 マルク・ソーテが1992年パリ

で初の哲学カフェを設立したのが始まりだそうです。調べて見ると日本にも何か所か哲学カフェが

出来ていました。

Philosophy 知(智)と愛 ギリシャ語のPhilosophiaが語源でこれを洋学者西周が哲(賢い)学(学ぶ)つまり

賢い学問として哲学としたと言います。愛知県出身の私はひょっとしてと思い調べた所、愛知は

フィロソフィーが語源ではありませんでした。

話は少し飛んでしまいましたが、私の道場では新聞や本をネタにディスカッション紛いな事をしま

す。少しでも政治、経済、歴史など興味を持ってもらいたいためです。試合会場での忘れ物が

ゲームやサポーターではなく哲学書になる日が来るかも。