あの頃は 2016/06/29

image支部内交流試合から早くも一週間が経とうとしています。勝てた人も残念ながら負けてしまった人もその後いかがお過ごしでしょうか?(^^;;

悔しさを胸に道場に通う人、心と身体を癒す為にしばしの休息を取る人、さまざまですがこの試合の結果をどうするのかは皆さん自身にかかっています。どうかムダにする事がないように次の準備に取り掛かってもらいたいです。

今から20数年前、中学生だった自分も同じように清水公園の柔道場で支部内の交流試合に出場していました。空手を始めて1年と少し。週3回の稽古にマジメに通い審査を受けさてもらい白帯から青帯へと昇級していました。(当時はまだオレンジ帯はなかった。)

その審査の最後の組手で中学生だった自分は大人の人を相手に圧倒してかなり調子にノリました(^^;; その1カ月後に行われた交流試合にも調子コキの自分は当然のように申し込みました。当時の交流試合は今のようにサポーターもヘッドギアもなく年齢や体重、帯で細かくカテゴリーが分かれてなく、白帯から茶帯まで中学生の自分や大人の人まで1つのトーナメントしかありませんでした。はい、結果今度はボッコボコにされました!下段廻し蹴りで2つの技有りを取られ一本負けをしてしまいました(>_<)

帰りの電車では独り足を引きずりながら自分の不甲斐なさと惨めさを心に刻み、慢心してはいけない事と世の中甘くない、という事を痛感しました。そこからは誰よりも早く道場に行き、自分がやられた下段廻し蹴りをひたすらサンドバックに蹴りこみました。当時は今のようなアットホームな雰囲気の道場ではなく、下っ端がサンドバックなんか蹴れるような雰囲気ではなく、先輩が来たら挨拶をし後は稽古が始まるまではひたすらストレッチしか出来ませんでした。

そしてその屈辱の一本負けから約半年後に支部内交流試合が清水公園の柔道場でありました。 中学を卒業してすぐの3月でした。1人地元の駅から清水公園の駅まで電車で向かう。その間に前回のようにまたやられてしまうのではないか?いや、あれから必死に練習したんだ、と弱気な自分と心の中で戦いながら会場へと向かいました。

結果は1回戦下段廻し蹴りで技有り2つ取り一本勝ち、2回戦は下段廻し蹴りで技有りを取り優勢勝ち、3回戦は延長で判定負けでした。しかし、前回とは違い大人相手に練習してきた技、下段廻し蹴りが決まり蹴った足はボロボロになりましたがある程度の達成感を味わいながら電車に乗り帰る事が出来ました!これぐらい真剣に練習すればこんな自分でもある程度戦えるんだ、という発見がもの凄く嬉しかった。

そしてこれは道場の中高生に言いましたが、当時の自分は写真のように道着に帯を巻きつけて(青帯(^^;; )それだけを肩からぶら下げて試合会場にしかも電車で行っていました(汗)今考えるとかなりのイタイ奴ですが、極真空手をやっていることに誇りを持っていたので恥ずかしくもなんともありませんでした。(当時はね(^^;; )むしろ誇らしげに青帯を見せつけていました。イタ過ぎる(>_<) 今そんなヤツがいたら間違いなく爆笑するでしょう。でもそれくらい空手にのめり込んでいました(`_´)ゞ  空手バカだった。

ミットもサポーターもタオルも飲み物もファールカップすら持たず、道着いっちょで会場へ‥  今思うとカバンもないから脱いだ服とかそこらへんに置いてたのか‥

今のヤツらはカバンにサポーターだのタオルだのウィダーのゼリーだの入れちゃって、ママパパに送り迎えしてもらい、試合前にゃ音楽聴いて、試合前にゃミットでアップして、試合じゃヘッドギアだのサポーターに守られて‥    てなイヤミくさいことを道場生に言いました。何ビビってんだ、と(^^;;

今回せんげん台から試合に出た中高生や一般に出た人には親に送り迎えしてもらわずに自分達で電車に乗って来いと厳命しましたo(`ω´ )o 会場に向かう電車の中で、不安や恐怖と向き合い、また帰る時には出た結果や内容を振り返れ、と。その行き帰りの時間がもの凄い大切な時間なんだ、と。あとは道場生同士の絆も深まる事でしょう。

当時の自分はかなりイカれたイタイ奴でしたが、そーいうちょっとイカれた奴が少なくなってるような寂しさがあります。試合を見ても‥ 終わった後の行動を見ても‥   歯がゆいっす(>_<)

長々と自分のちょっと恥ずかしい過去を振り返りましたが、それくらい熱い気持ちを持って練習や試合に臨んでいました。今の時代にはそぐわないのかも知れませんが、伝え方を考えてこんな考えもあるんだよ、と伝えていきたいと思います。

何事も積極的に挑戦していってもらいたいです!その為の準備をしっかりしよう!
いじょ   おしまいm(_ _)m